Japan Folk

高田渡

高田渡の考えは次の一文がよく表しています。「正面切って自分の主張をぶつけるのも確かに一つの方法ではある。しかし僕は自分の日常生活をそのまま歌うことが最高のプロテストソングではないかと思った」貧乏時代に父が買ったステレオで聴いたブラザーズフォーが高田渡の人生を変えました。ビートシーガー、その始祖ウディガスリーのシンプルでメッセージ性の強いフォークソングに出会います。


さらに山之口獏や草野心平など、平易な言葉でどこかユーモラス、そして静かな問題提起。彼はこのような詩を好むようになります。1960年代後半になると遠藤賢司らとアゴラというフォーク集団で活動します。その頃出会った評論家三橋一夫に「添田」を教えられました。彼は明治の演歌師で日本プロテスタントソングの元祖でした。これらの影響で「自衛隊に入ろう」を作り、1968年8月に関西フォークキャンプに登場します。


これがきっかけとなってURCから「高田渡/五つの赤い風船」でデビューします。2枚目の「汽車が田舎を通るその時」を経てURCと決裂し京都に渡ります。ここで長年の盟友となる中川五郎、中川イサト、シバ、加川良らと出会います。1971年にキングからはっぴいえんどなどが参加した「ごあいさつ」を発表します。さらにジャグバンド「武蔵野タンポポ団」を結成し、「系図」「石」を発表します。


自作の曲は減ってカントリー色が濃い、シンプルなサウンドを指向してゆきます。1976年ニューヨーク録音の「FISH ON SUNDAY」を経て、1977年「バーボンストリートブルース」、1983年「ねこのねごと」を出します。どこかほのぼのとした彼岸のような作品が続きます。


その後はしばし新作を発表せず、全国をライブ行脚して呑み過ぎる程呑みながら歌い続けます。1993年「ホントはみんな」がCMに使用されます。鈴木慶一のプロデュースで「渡」の発表となります。本邦初のコンドームソング「スキンシップブルース」など、渡節健在を知らしめました。最期はライブ演奏の後に倒れ2週間ほどで亡くなります。ドキュメント映画「タカダワタル的」が話題になった年でもありました。彼の死は「僕は死ぬまで歌い続けるが歌い手だと思っている。歌わなくなったらときが終わりだ」の言葉通り、全身フォークシンガーとしての死でした。



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高田渡
五つの赤い風船
URC 1969年
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URC会員制配布第一号LPのA面を飾ったスタジオライブです。高田は直前まで観客を入れたライブ収録であることを知らされませんでした。1曲目「事だよ」の歌いだしで「サクラ」と客をなじる始末。そんな不穏な開幕から3曲目の「自衛隊に入ろう」、演歌師添田唖蝉坊の詩をアメリカ民謡に乗せた「ブラブラ節」、原潜問題を冷やかした「冷やそうよ」と観客の心をつかんでゆく深く静かなグルーブ感に戦慄します。

1. 事だよ
2. 現代的だわね
3. 自衛隊に入ろう
4. ブラブラ節
5. しらみの旅
6. あきらめ節



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ごあいさつ
キング NEWS
1971年
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後のベルウッド総裁、三浦光紀に誘われキングレコードに移籍後初のアルバムです。谷川俊太郎「ごあいさつ」、山之口獏「生活の柄」などの詩を正統フォーク調に乗せた曲が多いです。一方、「コーヒーブルース」「自転車に乗って」「銭がなけりゃ」などの自作曲も詰まっています。特に後者曲ははっぴいえんどが演奏しています。他にも遠藤賢司、中川イサトなどが参加しています。編曲はほぼ早川義夫が担当し超豪華な一枚となっています。

1. ごあいさつ
2. 失業手当
3. 年齢・歯車
4. 鮪に鰯
5. 結婚
6. アイスクリーム
7. 自転車にのって
8. ブルース
9. おなじみの短い手紙
10. コーヒーブルース
11. 値上げ
12. 夕焼け
13. 銭がなけりゃ
14. 日曜日
15. しらみの旅
16. 生活の柄
17. 自転車に乗って


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