Japan Folk

RCサクセション

1966年、国分寺市立第三中学校の栗原清志はバンドを結成します。 栗原清志はのちに忌野清志郎となります。 彼は同級生2人と「ザ・クローバー」を結成します。 その同級生は小林和生、桶田賢一です。 後に彼らは林小和生、破廉ケンチを名乗ります。 その後、バンドは解散・結成を繰り返し最終はRCサクセションを結成。


ボーカル・アコギの忌野清志郎。 ウッドベース・コーラスの林小和生。 アコギ・コーラスの破廉ケンチのカレッジフォークスタイル。 演奏スタイルは凄まじい歌がフォークという枠を逸脱してゆきます。 その編成は段々フリーキーなものとなってゆきます。1969年、TBSヤング720のオーディションに合格。


続いて東芝主催の「カレッジポップスコンサート」で3位入賞。 ここのライブ音源はオムニバス盤に収録されます。 1970年には「宝くじは買わない」でシングルデビューします。 渋谷、青森を中心にライブ活動を続けます。1972年、3枚目のシングル「僕の好きな先生」がヒットします。 これは都立日野高校時代の忌野の恩師を歌った曲です。 さらにファーストアルバム「初期のRCサクセション」をリリース。


本人たちはこのアルバム内容に不満を抱きます。 1972年のセカンド「楽しい夕に」でよりバンド本来の記録となります。「僕の好きな先生」に続くヒットは出ませんでした。 レコード会社、所属プロダクションから冷遇されることとなります。 がバンドは不満、ルサン千万をライブで新曲として発表し続けます。アコースティックサウンドからエレキへの移行は1973年からでした。 同年、忌野には多額の印税が支払われました。 それは井上陽水のアルバムの共作曲の収録があったからです。


その後はレコードは出ず、ライブ動員も減ってゆきます。 数年間の暗黒期を経て2枚のアルバムの録音をはじめます。事務所には内緒で録音を始め1976年に発表します。 タイトルはアルバム「シングル・マン」、シングル「スローバラード」。大ブレイクに至るにはまだ数年を要しました。



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「楽しい夕に」
東芝/エキスプレス
1972年

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・ ラーラーラララ
・ エミちゃんおめでとう
・ 忙しすぎたから
・ あの娘の悪い噂
・ 九月になったのに
・ ねむい
・ もっとおちついて
・ 君もおいで
・ 去年の今頃
・ 日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ
・ ぼくの自転車のうしろに乗りなよ



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「悲しいことばっかり」
ユニバーサルミュージック
2013年

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・ 黄色いお月さま
・ ぼくの情婦
・ 愛してくれるなら
・ マイホーム
・ 弱い僕だから
・ ぼくとあの娘
・ あそび
・ かなしいことばっかり
・ ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います
・ もしも僕が偉くなったら
・ 仕事なので
・ わるいディレクター
・ ベイビーもう泣かないで
・ 九月になったのに
・ お墓
・ ガラクタ
・ 君にさようなら
・ ベルおいで
・ 一日
・ 夢を見た
・ マリコ


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