Japan Folk

三上寛

1950年3月20日、青森県北津軽郡小泊出身で父は地方公務員。高校に進学してから同郷の寺山修司などの影響を受け、詩に興味を持ち始めます。そんな時期に父が他界しそれまでの人生で経験したことのない衝撃を受けます。1967年に処女詩集「白い彫刻」を制作しのちに寺山修司にわたり、褒められたと聞いた彼は大きな自身を得ます。高校在学中からバンドを結成しオリジナル曲も演奏します。

その後青森県警察学校に入学しますが、間もなく退学します。1968年の秋には上京し憧れの寺山修司がいる天井桟敷に連絡を取ります。住まいが決まっていない彼は板前として働きながら、カルメンマキの家に居候していたこともあります。渋谷の「ステーション70」で引き語りを始めたところ、ジャーナリストばばこういちに気に入られ、デビューが決まります。1971年4月に日本コロムビアからファーストアルバム「三上寛の世界」が発売され、永山則夫について歌った「ピストル魔の少年」が問題視され、間もなく自主回収となります。その後「三上寛の世界」の6曲にさらに4曲を加えた変則的な内容のセカンドアルバム「三上寛のひとりごと」が1972年に発売されています。

1971年8月に中津川フォークジャンボリーに出演し、客席の怒号にギター1本で演奏する猛烈なパフォーマンスを展開し、一躍その名を轟かせました。そしてURCへ移籍し、1972年4月には「ひらく夢などあるじゃなし/三上寛怨歌集」をリリースします。この後、実況録音盤「コンサートライブ零狐徒 三上寛1972」(1972年)「BANG!」(1974年)と傑作を連発します。寺山修司が監督した「田園に死す」に出演したのを皮切りに、役者としての活動も活発になってゆきます。

ビクターに移籍してからは過激さがなくなってきます。「青い炎」「寛」(ともに1975年)「夕焼けの記憶から/三上寛青森ライブ」(1977年)の3作を残しています。ベルウッドから「負けるときもあるだろう」(1978年)を出した後は東芝に移り、ポップ路線に挑んだ異色作「Baby」(1981年)を発表。1990年以降はPSFから続けざまに作品をリリース、石塚敏明や吉沢元治、灰野啓二らと共演しました。


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「三上寛の世界」

コロンビア/プロペラ

1971年

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「ピストル魔の少年」が原因で回収されたアルバムですが、歌詞の衝撃度では他の曲も負けてはいません。後に「田園に死す」の劇中で三上が歌った血生臭い「カラス」や、怨念のこもった「おど」を躊躇なく放送できるメディアは今の日本にはありません。「なんでもいいからぶち壊せ」と吠える「小便だらけの湖」はセックスピストルズが叫ぶ「デストロイ」より5年早いです。「ものな子守歌」は森進一がカバーしました。

・ 馬鹿ぶし

・ ものな子守歌

・ カラス

・ 数珠の玉切れる日に

・ おど

・ なぜ

・ ピストル魔の少年

・ 木

・ 黒い小さな貨物列車

・ 小便だらけの湖

・ 夢は夜ひらく


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「ひらく夢などあるじゃなし」

URC

1972年

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デビュー作に続いて佐伯俊男がアートワークを担当したURCでの第一弾。変名で参加した柳田ヒロがアレンジャーとして貢献しています。無軌道な三上の表現に適度な音楽的彩りを与えたことで「誰を怨めばいいのでございましょうか」のような名曲がうまれました。現代史的な表現がふえたのも本作の特徴です。「ひびけ電気釜 !!」はそれが最もうまくはまった例です。「昭和の大飢饉予告編」と「五所川原の日々」は個性が大きく異なります。

・ あなたもスターになれる

・ ひびけ電気釜

・ 痴漢になった少年

・ 股の下を通り過ぎるとそこは紅い海だった

・ パンティストッキングのような空

・ 一人の女のフィナーレ

・ 昭和の大飢饉予告編

・ 誰を怨めばいいのでしょうか

・ 夢は夜ひらく

・ 故郷へ帰ったら

・ 気狂い

・ 夜中の2時

・ 五所川原の日々

・ 青森県北津軽郡東京村

・ 葬式


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「コンサートライブ零狐徒」

URC

1972年

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三上寛の魅力はライブにもあり、後に同年の高知でのライブが発掘されましたが、音質の良さで本作を推奨します。日本武道館、新宿厚生年金小ホール、高円寺会館で録られた音源からピックアップ。ここでの三上はフォークのぬるいイメージはありません。ほぼ全編ギター一本で破壊力があります。ラストの「東京だよおっかさん」が残す余韻は重いです。

・ 昭和の大飢饉予告

・ 犯されたら泣けばいい

・ よいしょよいしょ

・ 小便だらけの湖

・ なたもスターになれる

・ パンティストッキングのような空

・ ぴけ電気釜

・ 落日

・ 青森県北津軽郡東京村

・ 東京だよおっ母さん


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「BANG!」

URC

1974年

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三上寛はジャズに強い思い入れは特になかったようですが、本作は山下洋輔や坂田明、吉沢由治郎が参加しています。フリージャズ、アバンギャルドに急接近しています。大胆なコラージュを用いて吠えまくるタイトル曲がとにかく圧巻。対照的に山下洋輔が編曲とピアノ&オルガンを担当、渡辺勝、今井忍が講演したメロディアスな「赤い馬」のような曲もあります。ラストを飾る「最後の最後の最後のサンバ」でのソウルフルな歌唱も強烈です。

・ このレコードを私に下さい

・ 逢えてよかった

・ 華麗なる絶望

・ BANG!!

・ 密漁の夜

・ なんてひどい歌なんだ

・ 赤い馬

・ 最後の最後の最後のサンバ

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