1947年、茨城県勝田市生まれ。浪人時代にFENから流れてきたボブディランの曲、「ライクア・ローリングストーン」を聴いて、自分でも歌ってみようと考えるようになった・・・という挿話はフォーク歌手の履歴としては正統です。デビュー曲のB面「猫が眠ってる」が武満徹の「ノベンバー・ステップ」に影響を受けたものであり、中学の時には三橋美智也とエルビスプレスリーを同等に聴いていた・・・など、さらに音楽体験を掘り下げると、ジャンルを超越した”純音楽家”エンケンの大きな世界へと少しずつ近づいてきます。
1968年8月、京都の「第3回フォークキャンプ」に参加。高石ともや、ザフォーク・クルセダーズら関西フォーク人脈と出会い、高石音楽事務所に所属します。中津川フォークジャンボリーをはじめ、超絶なライブパフォーマンスで人気を博し、1969年に東芝から「ほんとだよ/猫が眠ってる」でデビューします。「ほんとだよ」の編曲は、木田高介、録音には西岡たかし、加藤和彦、早川義夫が参加しています。
1970年、URCからファーストアルバム「niyago」発表。前身であるバレンタイン・ブルー時代から、遠藤のバックを務めたこともある、はっぴいえんどの細野晴臣・鈴木茂・松本隆らが参加しています。翌1971年、同じくはっぴいえんどを従えて録音されたセカンドアルバム「満足できるかな」をポリドールからリリース。翌1972年、ここから「カレーライス」がシングルカットされ、10万枚のヒットとなります。女と同棲する男の半径数メートルの宇宙を描いたこの曲がフォーク歌手として遠藤賢司の代表作と認識されます。
ですが、ここからぐんぐんとその枠から逸脱してゆきます。1978年、セックスピストルズとクラフトワークに励まされ、四人囃子を従えて録音された大名盤「東京ワッショイ」を発表。1980年代、レコードリリースは沈黙しますが、ブルーチアーよりも五月蠅いハードロックバンドで復活。1991年25分に及ぶシングル「史上最長寿のロックンローラー」で度肝を抜きます。1996年の「夢よ叫べ」は来る未来の紅白歌合戦出場予定曲です。21世紀に入り観客のいない武道館でのひとりきりでのライブを記録した映画、「不滅の男 エンケン対日本武道館」に主演、映画「中学生円山」では「ド・素人はスッコンデロオ」披露しました。
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niyago
URC 1970年
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ライブでは圧倒的なパフォーマンスで聴き手を異次元に誘う「夜汽車のブルース」でスタート。バックを務めるのは本盤録音時にはっぴいえんどという新しいバンドをスタートさせた、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の3人。彼らのファーストに先駆けて日本語によるロックの可能性は、既にここで始まっていました。走るのです、という口調は松本隆の詩作に直接影響を与えたのでしょうか。1972年、松本隆が大滝詠一に提供した「それはぼくじゃないよ」は、「ほんとだよ」へのアンサーソングかもしれません。本盤に起こる遠藤の歌声はまだどこかうつむきがちで、曲の深度にも反映しています。アシッドフォークと呼んで良いかもしれません。最後は束ねられていった時間がラスト12分を超える「猫が眠っている」で宇宙へと解き放たれます。
1. 夜汽車のブルース
2. ほんとだよ
3. ただそれだけ
4. 君がほしい
5. 雨あがりのビル街 僕は待ちすぎてとても疲れてしまった
6. 君のことすきだよ
7. 猫が眠ってる、NIYAGO
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エンケンの四畳半ロック
MIDI/RHYME 1999年
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前人未踏、純音楽家の道を邁進する遠藤賢司。時に懐かしのフォークソングという企画で、「カレーライス」を歌うことも厭いません。場所は変わっても一切妥協無しのパフォーマンス、まるで道場破りのような後味を残してゆきます。生ギター1本で歌えばフォークになるのか、という素朴な疑問が本盤を生みました。四畳半フォークならぬ四畳半ロック。「夜汽車のブルース」「カレーライス」「満足できるかな」「外は雨だよ」「ハローグッバイ」若き日の早川義夫に性的暗喩表現を激賞された「スクリュー」から「東京ワッショイ」「不滅の男」まで、歌とハーモニカとアコギで2チャンネル一発録り。当然のごとく弦は切れまくりで、ジャケットには弦が切れたギターを晴れ晴れしい表情で掲げるエンケンがいます。こんなイイ顔わみたければライブへどうぞ。
1. ねえ踊ろうよ
2. 満足できるかな
3. カレーライス
4. 夜汽車のブルース
5. スクリュー
6. 雨上がりのビル街
7. ハローグッバイ
8. 外は雨だよ
9. 踊ろよベイビー
10. 通好みロック
11. 東京ワッショイ
12. 不滅の男