斉藤哲夫は埼玉県鴻巣出身ですが、小学校へ上がる少し前に大森へ移ることになります。食堂の息子として育ち、歌の世界は極めて東京的です。それも松本隆の「風街」にように、ファンタジックではなく、庶民的な目線の表現を得意としました。二大アイドルは、ビートルズとボブディラン。どちらにも同じくらい強く思い入れることで、メロディの魅力とメッセージ性とを両立した初期のスタイルが生まれました。まだ明治学院大学に通っていた19歳の時、URCから発表したシングル「悩み多き者よ」はまさにディラン+「ジョンの魂」といった風情。
岡林信康に続くスターを必要としていたURCにとって斉藤は、期待の星で、西岡たかしがジャックスの木田高介と組んだサイケポップ的アプローチのプロジェクト「溶けだしたガラス箱」のアルバムにも起用されています。2枚目のシングル「されど私の人生」は吉田拓郎もカバーした名曲。しかしファーストアルバムのリリースは遅く、早川義夫がディレクターを担当した「君は英雄なんかじゃない」が世に出たのは1972年6月でした。
やがてソニーへ移籍すると、サウンドプロダクションがバンド的な方向へシフトします。デビュー作からの付き合いとなる瀬尾一三が全面参加した「ハイバイグッドバイサラバイ」「グッドタイムミュージック」「僕の古い友達」はいずれ劣らぬ傑作です。1979年にはポニーキャニオンへ移籍してからもそれまでの持ち味を保っていましたが、1980年にCMソング「いまのキミはピカピカに光って」が予想外のヒットを記録します。その後、契約を失ってからは方向性に悩み、一時リタイアした時期もありました。1988年には、朋友はちみつぱいの再結成&解散ライブ盤「9th June 1988」に参加。
そこでも歌った「甘いワイン」を含む自主制作盤「ダータファブラ」が最も新しいオリジナルアルバムです。2006年にはオフコース時代に「悩み多き者よ」をカバーした小田和正に招かれてTV特番で共演し注目を浴びます。2009年にはポニーキャニオンからセルフカバーアルバム「Spinach」を発表。2011年に脳梗塞で倒れますが、リハビリを重ねて回復しました。
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君は英雄なんかじゃない
URC
1972年
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はちみつぱいの渡辺勝と鈴木慶一、野沢亨司といった友人たちに加え、柳田ヒロ、式部秀明、田中清司が参加。音数を絞った編曲は、本作をディレクションした早川義夫の好みを反映したものでしょうか。まだプロテストフォークの強い影響下にあって、かなり背伸びした、しかし不思議と説得力のある言葉が並びます。1970年代の到来を痛感させる9分越えのタイトル曲は必聴です。「明日になれば」は後のポップ路線につながってゆきます。
1. 6/8無題 (素晴らしい人生)
2. 明日になれば
3. 悩み多き者よ
4. 君は英雄なんかじゃない
5. 時は矢の様に
6. 斧をもて石を打つが如く
7. 日の丸
8. とんでもない世の中だ
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バイバイグッドバイサラバイ
CBSソニー
1973年
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ムーンライダーズで活躍する岡田徹と白井良明、トランザムを組むチト河内と、後藤次利がバックを担当。ビートルズ色を解禁する一方で、村上律のペダル・スチールをフューチャーした「ここは六日町あたり」や、同じくカントリーロック調の「吉祥寺」も収めています。その「吉祥寺」やノスタルジックな旋律が胸を打つタイトル曲の言葉遊び的な手法は、四畳半フォークと一線を画す個性です。
1. 今日と明日をむすぶかけ橋
2. バイバイグッドバイサラバイ
3. もう春です(古いものはすてましょう)
4. ねぇ君
5. 今日から昨日へ
6. 頭の中一ぱいに続く長い道
7. ここは六日町あたり
8. 親愛なる紳士淑女の為に
9. 合間をぬって
10. 吉祥寺