西岡恭蔵は1948年、三重県志摩市出身。実家は真珠の養殖業を営んでいました。高校の頃からビートルズやピーターポール&マリー、ボブディランなどに感化されオリジナル曲を書き始めます。その後近畿大学へ進学、大阪のフォークスクールで、大塚まさじと出会い、彼がマスターをしている店「ディラン」の常連客となります。そこに集まっていた西岡、大塚、永井洋の3人がやがて「ザディラン」という、フォークグループに発展します。
中津川で開催されたフォークジャンボリーなど、多くのイベントに出演しましたが、西岡は1971年に脱退します。残った2人は「ザディラン2」を改名、彼らが1971年にレコーディングしたファーストアルバム「きのうの思い出に別れをつげるんだもの」には西岡も参加します。ソロに転じた西岡はベルウッドと契約し、1972年に「ディランにて」でデビュー。
ディラン2も録音した「プカプカ」が評判になり、多くのアーティストにカバーされる代表曲となりました。1973年には細野晴臣がプロデュースを担当し、2作目「街行き村行き」を録音します。その縁もあり9月に行われたはっぴいえんどのラストライブに西岡も出演しました。この日の模様を収めた「ライブはっぴいえんど」に2曲収められています。1974年にはザディランの再編アルバム「悲しみの街」をオリジナル・ザ・ディラン名義でリリース。全曲が西岡のオリジナル曲で占められていました。
ソロ3作目、「ろっかばいべいびい」は再び細野晴臣プロデュースで、鈴木茂&ハックルバックが参加。これを最後に西岡はベルウッドを離れ、ショーボートへと移籍します。1975年からはソロデビューした矢沢永吉の作詞を手掛け始め、多額の印税収入を得るようになります。それを資金に1976年に愛妻KUROとメキシコ~バハマを旅行。この時に書いた曲を中心に、ソーバッドレビューとLAでレコーディングした「南米旅行」は音楽観の大きな変化を示した重要作です。
1980年代以降はソロと並行して岡嶋善文と組んだKyouzeo&Bun、大塚まさじとの連名でもアルバムを発表。フォークの枠からはみ出す、西岡風としか言いようのない、大らかな作風を確立しました。関西きってのメロディメーカーだっただけに、50歳という若さでの自殺はあまりにも惜しいです。
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「ディランにて」
1973年
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1. サーカスにはピエロが
2. 下町のディラン
3. 谷間を下って
4. 君住む街に
5. 風を待つ船
6. 丘の上の英雄さん
7. 君の窓から
8. 僕の女王様
9. プカプカ
10. 街の君
11. 終りの来る前に
12. サーカスの終り
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街行き村行き
キング/ベルウッド
1974年
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細野晴臣が全面参加したセカンドアルバムです。バックは細野とはちみつぱい。詞曲共にはっぴいえんどの影響が色濃く感じられます。リズムボックスを使った「ひまわり村の通り雨」「飾り窓の君」ではスライなどのニューソウル風味を、細野が巧みに導入。シティ/カントリーの往来をテーマに捉えた点も面白いし、洗練された佳曲揃いですが、前作の内省的な詞世界が変り過ぎてしまった感があります。
1. 村の村長さん
2. 春一番
3. どぶろく源さん
4. パラソルさして
5. ひまわり村の通り雨
6. 飾り窓の君
7. 海ほうずき吹き
8. うらない師のバラード
9. 朝の散歩道
10. 街行き村行き