森山良子

森山良子は1948年1月18日、東京都渋谷区に生まれました。日本ジャズ界の草分けである日系二世のトランぺッター、兼ボーカリストの森山久の長女で叔父にティーヴ釜やつ、従兄にかまやつひろしがいます。中学生の頃から声楽、ジャズを学び、その傍ら友達らとカントリーバンドを結成。彼女はそこで歌い始め、成城学園高校在学時の1964年末に、学生フォーク団体の定期イベント、スチューデントフェスティバルに参加します。


先輩の黒沢久雄の勧めでフォークソングを歌い始めると、そのクリスタルボイスが評判となります。彼女はプロデビューする前からフォークの女王と呼ばれます。1967年1月にはフィリップスレコードから自作曲のシングル、「この広い野原いっぱい」とアルバム「森山良子フォークアルバムNO.1」の同時発表でデビューします。「禁じられた恋」(1969年3月)が初めてオリコンシングルチャート1位のミリオン・ヒットを記録します。「カレッジフォークアルバム」など、ヒットもあり第11回レコード大賞大衆賞を受賞します。


同年1969年9月には渡米し日本人初の海外録音アルバムである、「森山良子イン・ナッシュビル」をナッシュビルで制作しています。1971年には結婚し、一時引退しますが翌年復帰。その後、日生劇場でのリサイタルを始め、テレビ・ラジオなど、さまざまな分野で精力的な活動を続けます。1996年には、歌手生活30周年を迎え、米国N.Yのカーネギーホールを皮切りに、国内9都市で「森山良子&ミシェルルグラン」コンサートを開催。


1998年2月長野冬季オリンピック開会式でのテーマソングの熱唱や、2002年日本レコード大賞での最優秀歌唱賞、金賞「さとうきび畑」、作詞賞「涙そうそう」のトリプル受賞など話題に事欠きません。2003年10月にはフォークを歌い始める前から念願だったアルバム、「The Jazz Singer 」を発表します。翌年2004年5月には、USジャズライブツアーをニューヨークの名門、ブルーノート他、全米5か所で開催しています。


2006年に芸術選奨文部科学大臣賞、2008年には秋紫綬褒章を受賞、その後もマイペースな活動を続け、2013年には自身初のクラシック・アルバム「Ryouko Classics」を発表。



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この広い野原いっぱい
ビクター/フィリップス
1967年
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デビューアルバムとなる本作は、A面にオリジナル曲、B面にアマチュア時代のレパートリーを収録した構成で、時代を色濃く投影した佳曲が多く揃っています。堂々たる歌唱が見事で、当時は天使の歌声と称えられます。初々しい美声が最大の聴き所です。尚、演奏は黒沢久雄、彼を除くブロードサイドフォーが担当しました。ちなみにデビュー曲(1)は彼女が出演していたラジオ番組、「キョ―リン・フォークカプセル」から生まれた楽曲です。

01 この広い野原いっぱい
02 きっと天使が
03 真白き富士の嶺
04 花一りん
05 中国地方の子守唄
06 一番星の歌
07 眠れよいこ
08 朝日のあたる家
09 美しい町
10 あなたが去る時まで
11 セットル・ダウン
12 「メリー・ポピンズ」~2ペンスを鳩に
13 「ウエストサイド物語」~サムホエア
14 カルタース・キャンディ
15 この広い野原いっぱい



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森山良子インナッシュビル
ビクター/フィリップス
1969年
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森山良子にとって初の海外録音であると同時に、日本人歌手の海外制作による初めてのアルバムです。カントリーミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビル、エイカフローズ・レコーディングスタジオにて、僅か1週間で録音されたアルバムです。当時、話題となる、セッションユニット「ザ・ネオンフィルハーモニー」、彼らはナッシュビルで最も進歩的なポップ&ロックサウンドを創造していましたが、そのボーカルを務めました。タッパーソウシ―と共にグループの中心的存在である、ドンガントをレコーディングプロデューサーに迎え、外国曲のカバーの他、山上・村井コンビや、かまやつひろし、川口真、加橋かつみらが新曲を提供しました。そのうち、(1)と(9)がシングルカットされました。本作の最後の曲、(12)では珍しくヨーデルシンギングが楽しめます。

01. 恋人
02. フランク・ミルズ
03. 古い田舎町
04. わが恋人の黒髪
05. 子山羊のように
06. ハニー
07. ひなげしの花
08. にがい蜜
09. 思い出のグリーン・グラス
10. 光に祈りを
11. 黄昏は人生が見える
12. キャトル・コール