長渕剛がデビュー当時はフォークシンガーでした。 いわゆる女歌を歌ったりしていました。 ラジオやステージで気さくなあんちゃんぶりを披露もしていました。 一般的に知られる彼のキャラクターを考えると驚きでもあります。 1956年鹿児島県生まれ。 福岡のライブハウス「照和」での活動がはじまり。 1976年に第12回ポプコンに「雨の嵐山」で入賞。 翌年、同曲でビクターからデビュー。
名前の読みを「ながぶち ごう」に替えられたりしました。 レコード店回りなどのキャンペーンで苦渋を舐めたこともあります。 翌年に東芝EMIから「巡恋歌」で再デビューを果たします。 もともとは高校時代から吉田拓郎に憧れていました。 友部正人、加川良らに傾倒していた純正のフォーク好き青年でした。 スリーフィンガーピッキングによるテクニックは当初から優れていました。 声質も現在とは異なる澄んだボーカル。
ファルセットも駆使する歌い方です。 初期の楽曲には叙情派フォーク的なナンバーも書いています。 1979年には吉田拓郎の篠島コンサートに出演。 同時期に「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めます。 この頃から人気が高まり、1980年に満を持しての「順子」が大ヒット。 一躍人気アーティストとなります。
3枚目のアルバム「乾杯」のあたりから自身の歌いたい音楽性を作り上げます。 骨っぽいナンバーが増えてゆきます。1983年のTBSドラマ「家族ゲーム」の主演を演じます。 これを皮切りに、俳優としても活躍。 次第に演じるキャラクターがハードに。 楽曲もヘビーな作品が増加。 この時期はロックに傾倒していましたが、再びアコースティックに回帰します。 1980年代後半ごろのことです。ステージでは「巡恋歌」を現在に至るまでほぼ欠かさずレパートリーに。 彼は原点であるフォークの姿勢を忘れてはいません。 日本を憂い社会に物申す。
自身のルサンチマンを歌に反映させます。 アーティストとしての矜持は1970年代に発表した初期作品から変わりません。 現在もカリスマとして熱狂的な支持を受けています。 これは変わらぬ骨太な姿勢と苦悩をそのまま丸出しにする。 そんなタイルが支持されているのでしょう。
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「風は南から」
東芝 エキスプレス
1979年
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1. 俺らの家まで
2. 僕の猫
3. いつものより道もどり道
4. 訣別
5. カントリー・ワルツ
6. 待ち合わせの交差点
7. 不快指数100%の部屋
8. 今宵最後のブルース
9. 君は雨の日に
10. 巡恋歌
11. 長いのぼり坂
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「逆流」
東芝 エキスプレス
1979年
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1. 風は南から
2. 友への手紙
3. 順子
4. 素顔
5. 男は女が必要さ
6. あんたとあたいは数え唄
7. ひざまくら
8. 祈り
9. 酔待草
10. 逆流
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「乾杯」
東芝 エキスプレス
1980年
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1. 決心
2. プロポーズ
3. 手のひら
4. 顔
5. もう一人の俺
6. プライベート
7. 白と黒
8. ヒロイン
9. 暗闇の中の言葉
10. 乾杯 加川良