1975年にかぐや姫、1976年にグレープが解散します。 さらに抒情派フォークのトップグループが相次いで解散やソロに転向します。 時を同じくして北海道から登場してきた新星が松山千春でした。ニューミュージックの台頭もありフォークは下火にってきます。 アンダーグラウンドに潜り始めた関西フォーク勢が増えてきます。 サウンド的に路線変更するフォーク系アーティストも増えます。
フォークは日本的情緒に訴えかける軟弱な音楽という見方が定着しはじめました。 そんな中で松山の登場は衝撃的でありました。彼は北海道足寄町出身。岡林信康や加川良、下田逸郎らに強い影響を受けます。 1975年には「全国フォーク音楽祭」北海道大会に出場します。 そこでは落選こそしますが、STVラジオのディレクター竹田健二氏に見出されます。
1976年には同曲の「サンデージャンボスペシャル」にコーナーを与えられます。 「千春のひとりうた」というコーナーでした。 ここで松山は毎週新曲を書いてギター弾き語りで発表することになります。 「旅立ち」「足寄より」「かざぐるま」など初期の代表作を、このコーナーで発表します。 この番組により北海道での松山の知名度が上がってゆきます。1977年1月25日「旅立ち」でレコードデビューを果たした半年後の8月に竹田氏が急逝。失意の中、1977年10月には「オールナイトニッポン」水曜2部のパーソナリティに起用。 全国区への足がかりをつかみます。 1978年「季節の中で」がチャート1位の大ヒットを記録します。 スケールの大きな作風と堂々とした歌い方が新鮮でした。 抒情派フォークにありがちな日本的湿度感を感じさせない音楽性。 フォークの新たな展開を予感させました。
この頃、フォーク嫌いで知られたタモリでさえ「千春は別」とラジオで語っていたほどです。 同じ水曜オールナイトの関係者ということもあったとは思われます。 松山はこの時期のフォーク勢でも別格の大物感がありました。同年「雨の嵐山」で長渕剛が登場してきます。 彼は南の果ての鹿児島からやってきたフォークシンガーでした。 松山の大陸的な抒情性と長渕の情緒的な作風の中に潜む武骨さ。 これらは1970年代後半ならではの新たなフォークの在り方と言えます。
以降も「長い夜」「大空と大地の中で」「恋」などがヒットします。現在もメロウなラブソングやAORサウンドなどを展開しています。 フォークシンガーとしてブレることなく第1線で活躍しています。
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「君のために作った歌」
キャニオン
F-LABEL
1977年
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・ かざぐるま
・ 大空と大地の中で
・ 旅立ち
・ オホーツクの海
・ 君のために作った歌
・ 足寄より
・ 銀の雨
・ この道より道廻り道
・ ためらい
・ 今日限り
・ 初恋
・ おやすみ
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「こんな夜は」
キャニオン
F-LABEL
1978年
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・ 雨あがりの街
・ 南風にのせて
・ 私を見つめて
・ 走れ夜汽車
・ こんな夜は
・ 君が好きさ
・ 貴方だけ
・ 帰ろう
・ 君はそばに
・ 父さん
・ 涙
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「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」
キャニオン
F-LABEL
1979年
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・ 街
・ 酔っています
・ かわいい女はかわいいままで
・ おいで僕のそばに
・ 失くした心
・ 卒業
・ 帰郷
・ あたい
・ 空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように
・ 生きがい
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「時代をこえて」
キャニオン
NEWS
1981年
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・ 夜
・ この部屋
・ とだえた言葉
・ ダーリン
・ 時代をこえて
・ 浜辺
・ 夢をのせて
・ 夏
・ 限りある命
・ 星をかぞえて