グレープ / さだまさし

さだまさしが「暗い、女々しい」と言われるようになったのは1980年。 ある有名人がラジオ番組で「フォークは暗い」「フォークを聴く奴は女々しい」と言い波紋を呼びます。 フォークと言うジャンル自体が暗いイメージで見られている原因の一つとなっています。 1972年、大学を中退して故郷の長崎に戻ります。 この時、高校時代のバンド仲間「吉田正美」と共にグレープが結成されました。


地元で初コンサートを開催して間もなく、ワーナーのディレクター川又明博に声を掛けられ上京。 1973年にシングル「雪の朝」でデビューとなります。 さだまさしの澄んだボーカルに吉田正美が繊細なコーラスを乗せるスタイルが特徴。 バイオリンの名手でもあるさだが作る旋律と、吉田のジャズギターから繰り出されるフレーズが独特の緊張感を生みます。彼らが最も評価されたのは、音よりも言葉で、リスナーからは暗さが求められていたとも言えます。


セカンドシングル「精霊流し」が日本レコード大賞で作詞賞を獲得。 雰囲気を明るくした1975年のシングル「朝刊」は不発に終わります。 一方、暗さが全面に出た「無縁坂」がヒットします。 これが翌年のコンビ解散のきっかけとなります。吉田正美は新グループの「茶坊主」とソロで1枚づつアルバムを発表した後、ディレクターに転身します。 又、1991年にレーズン名義で再結成をするなど、節目節目でさだまさしをサポートしています。


さだは元赤い鳥の渡辺俊幸をパートナーとして、アルバム「帰去来」「線香花火」でそろデビューします。 「世の中が明るい歌なら、私はあえて陰湿に、陰気な唄を歌ってもいいと思う」とうそぶきながら現在に至ります。 「まほろば」など日本の純文学や古典文学を思わせる重厚な作品があります。 その一方で、「雨やどり」などの元落研らしいユーモラスもあります。 そして秀逸なサゲ、ストーリーテリングの巧みさにも耳を奪われます。


又、不意を突かれる「償い」などの痛烈さに胸が痛んだりと、ただ暗いだけではない彼の魅力があります。 グレープ時代のセルフカバーを含むオールタイムベスト「天晴」の大ヒットで着実に新世代を取り込んでいます。



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グレープ
「わすれもの」
ワーナー/エクストラ 

1974年

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・ 精霊流し
・ もしかしたら君は空を飛ぶんじゃないかな?
・ 紫陽花の詩
・ ひとり占い
・ 蝉時雨
・ 春への幻想
・ 雪の朝
・ 魔法使いとフリージア
・ 告悔
・ 悲しみの白い影
・ しおれた花
・ あこがれ



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グレープ
「せせらぎ」
ワーナー/エレクトラ 

1975年 

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・ ほおずき
・ 殺風景
・ 委ねられた悲しみ
・ 女郎花
・ 残像
・ 交響楽
・ ラウドネス
・ 絆
・ 風邪
・ 恋人擬
・ 掌
・ 追伸



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グレープ
「コミュニケーション」
ワーナー/エレクトラ 1975年

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・ 朝刊
・ 19才
・ 悲しきマリオネット
・ 絵踊り
・ かなしいうた
・ 無縁坂
・ 縁切寺
・ 雲にらくがき
・ 風と空
・ 笑顔同封
・ フレディもしくは三教街



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グレープ
「グレープライブ三年坂」
ワーナー/エレクトラ 1976年

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disc1
・ オープニング~精霊流し
・ 無縁坂
・ 悲しみの白い影
・ 殺風景
・ 風と空
・ 朝刊
・ ほおずき
・ 縁切寺
・ 笑顔同封
・ 追伸

disc2
・ 島原の子守歌
・ 雪の朝
・ 掌
・ パンコ
・ 絵踊り
・ 第一印象
・ さよならコンサート
・ 僕にまかせてください
・ フレディもしくは三教街
・ あこがれ
・ 精霊流し