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ホーム home << ポシションマーク positionmark << #6830-b 黒蝶貝 4mmドット

 

ポジションマーク positionmark 

 

#6830-b 【ポジションマーク】
黒蝶貝 4mmドット (12個セット)
600円 個数:    送料160円

 

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ポジションマーク 黒蝶貝 4mmドット (12個セット) 

 

 

ポジションマーク 黒蝶貝ドット

 

  材質 : 黒蝶貝
  形状 : 丸 ( ドット )
  サイズ : 直径 4mm
  厚み : 約2mm
  セット数 : 12個

 

 

 

 

黒蝶貝ドットシリーズです。画像は各種サイズまとめて写っていますが、このページでのご注文は画像「直径4mmのポジションマーク」のみです。ご注文は12個セットです。個数欄「1」で12個の4mmポジションマークをお届けします。ポジションマークは演奏時の目安になり、又、装飾の意味合いも含んでいます。ギター全体と自然に溶け込み、独特の雰囲気を醸し出します。ポジションマークのサイズは4mmです。少し派手めに、フィンガーボードに多く埋めても面白いでしょう。但し全体のバランスには少し注意が必要です。標準的な装飾が好みの方に特にお奨めします。埋め込む際はドリル等でゆっくり穴を開けます。白鉛筆で中心線を描いておくと正確な位置に埋めることが出来るでしょう。

 

 

 黒蝶貝について                  

ウグイスガイ科の二枚貝。貝殻はアコヤガイに似るが大きく、殻の長さは14センチくらい。殻の表面は黒緑色で白斑があります。紀伊半島以南の暖海に分布。真珠養殖の母貝にされ、殻は貝細工に用います。数ある真珠貝の中で、黒蝶貝だけしか生み出すことの出来ない黒蝶真珠は、天然の黒蝶貝より40万貝に一個の割合でしか発見できないその現出の余りにも希少性ゆえに、クレオパトラがアントニウスとの競宴で飲み下したという、古代の黒蝶真珠からナポレオン三世の皇后ユージニアのネックレス、ビクトリア女王の王章などとなった近世の黒蝶真珠に至るまで、その歴史は豪華絢爛たるものであり、これことごとく王侯貴族の占有であり、大衆にとっては、まさに幻の真珠でした。”幻の真珠”を養殖しようと、戦後の1951年沖縄県内で9社の養殖場が黒蝶真珠への挑戦を開始し、琉球真珠株式会社は1951年東京の琉球真珠海綿養殖と合併で球陽真珠海綿養殖株式会社の名で発足し川平湾養殖場にて黒真珠養殖への挑戦が始まりました。初代社長に宮良長詳、専務・玉城仁栄、技術担当に渡嘉敷進(現会長)そして会社設立翌年には三重県から施術技術者を招いて、いよいよ操業が開始されました。

 

しかし、黒蝶真珠養殖は困難を極め、1958年「黒蝶真珠養殖は定説通り技術的に不可能であり、その先行きは、まったく見込みがない」とし球陽真珠海綿養殖株式会社の崩壊、日琉合併の失敗、事実上倒産。しかし渡嘉敷らはあきらめず人員整理をし、わずか3人で養殖試験を続行することになりました。そして渡嘉敷らの養殖への恐るべき執念がここから始まりました。 わずか3人での養殖の続行、くる日もくる日も施術し二百種類を超える施術方法を行い黒蝶貝との対決が連日続けられました。しかし、大部分の貝は死に養殖は困難を極め売上もなく給料もストップし借金の連続、さらに台風の襲来で養殖場は惨たんたる状態になりました。十年間無配で辛抱してきた株主の間から、事業中止、会社解散論が出ました。渡嘉敷らは必死になって、養殖続行を願い黒真珠の灯を守る執念の鬼となりました。この頃、琉石社長の稲嶺社長が本格的に肩をいれることになり「琉球真珠株式会社」として再出発することになりました。 同じ頃沖縄県内で養殖を開始した9社の内8社が養殖場を閉鎖し完全に姿を消していました。

 

会社再建直後の昭和38年9月台風14号グロリアが石垣島を直撃、川平湾養殖場では台風の眼に入り、その後の返し風により川平湾を覆すような大暴れとなりました。養殖筏はあっという間にかげも形も見えなくなり、今度こそ駄目だと渡嘉敷場長は観念し、言葉も出ず、頭をかかえこみました。しかし、「生き残った黒蝶貝がいるかも知れない。」じっとしておれず、渡嘉敷らは、湾奥にふきつけられた母貝を宝物を探すように一個一個慎重に回収し、養殖筏の復旧に当たりました。前回と併せ二度の台風で、養殖貝の数は激減し施術貝8000個は、浜揚げで685個しか残っていませんでした。ところがこのわずかな貝の中から、初めて真円真珠の名に値する真円良珠が、123個も得られたのです。ようやく川平湾養殖場に希望の灯がともり、研究し続けてきた執念が結実しはじめました。

 

さらに渡嘉敷らの技術開発は粘り強く続けられ、ついに1970年(昭和45年)5月。川平湾養殖場は画期的な浜揚げとなりました。十ミリをこす真円大珠が、夢にまで見た花珠が、黒蝶貝の胎内からぞくぞくと出てきたのです。渡嘉敷方式の黒真珠養殖は、ここにきて一斉に花開き実を結んだのです。汗と涙にまみれた十八年、ついに念願を達成することが出来ました。良質な黒蝶真珠で、溜まりに溜まった借金も二年で返済。さらに、1972年西表船浮養殖場を設置、1980年には黒蝶貝の人工採苗の技術開発に世界で初めて成功。1984年には国内初白蝶真珠の養殖にも成功、2000年には九州・沖縄サミットで、G8首脳夫人への公式プレゼントとして琉球真珠の黒蝶真珠オリジナルデザインが選ばれるなど。品質・意匠・技術において世界トップクラスの評価を得るまでとなりました。

 

この神秘的な魅力に充ちた、真珠光芒。養殖技術もさることながら、美しい八重山のサンゴ礁が染めあげたものなのです。この真珠を育むサンゴの海を未来永劫残していく事が、これからの我々の使命なのです。

(参考・引用文献) 大浜英祐著「黒真珠物語」

 

 

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